表面上は、
人間関係も学業も家庭環境も、何一つ困ることがなかった自分。
それでも、どうしてこんなにも自己否定が心の中で膨れ上がり、消えないのだろうか?
その理由に迫り、少しでも自分を理解したいと思う。
1. 「頭の回転が速い人」への強い羨望と比較
単なる能力の違いではない。
私は、自分にないスキル、持っていない才能に異常なほど価値を感じてしまう。
「頭が切れる人」
その一瞬で物事を見抜き、論理的に解決していく姿に、強烈な嫉妬と憧れを抱く。
その姿が、私がどれほど無能で、どれほど無価値なのかを突きつけてくるようで、苦しくてたまらない。
そして、その感情が、無意識のうちに自分の価値を測る基準となり、自己否定を強化し続ける。
2. 周囲に「もっと優れた人」が多い環境
「旧帝大」で学び、優秀な人々が集まる環境に身を置いてきたことが、
私を常に比較し、劣等感を抱かせる原因となっている。
ここでは、いつも自分が「できない人」に感じられる。
その意識が強化されることで、自己否定の感情が膨らんでいく。
誰かに追いつけない、その焦燥感がずっと自分の中で響き続けている。
そんな自分に苛立ち、焦り、そして誰かに追いつける気がしない。
結果として、絶え間ない劣等感が生まれ、自己否定が深まる。
3. 完璧主義の側面
「頭が悪い人」扱いされることには抵抗がない。
むしろ「頭が良い人」扱いされることに強い違和感を感じる。
その感覚の根底には、完璧主義がある。
中途半端な賢さでは満足できない。
常に高い基準を自分に課し、その基準に届かない自分に失望し続け、最終的にその失望が自己否定に変わる。
4. 自己探究の深さゆえの自己批判
自己分析を繰り返すことで、自分を深く理解したいと願う一方で、
その過程が過剰な自己批判に繋がることも多い。
「なぜ自分はこうなのか?」
という問いが、結局は自分を否定する材料を見つけ出す。
その問いが、自己評価を低く保つ鎖となり、どこまでも自分を責め続けるのだ。
これらの要因が複雑に絡み合い、自己否定の感情は深まる一方だ。
もう、どこを見ても自分には何もないように感じる。
結局、私はいつまで経っても、無価値な存在でしかないと思い込みながら生きるのだろう。