奪われる時間、沈む心

24時間のうち、1/3は睡眠、1/3は仕事、そして残りの1/3は通勤と家事でほとんど埋め尽くされている。
自分の本当にやりたいことに使いたいはずの時間が、「生活するため」という理由で無情にも奪われる。

頭の中では本当にやるべきことが明確に見えている。
自分を高めるために学ぶべきこと、磨きたいスキル、追求したい情熱。
それらは数えきれないほどある。

だが、現実は生活のための仕事に多くの時間を奪われていく。
目の前の業務に費やす時間が、あまりにも勿体無いと感じてしまう。

旧帝大院卒という肩書きを持ちながら、頭の回転は決して速くなく、思考が鈍い自分がいる。
周りからは「高学歴だから何でもできるだろう」と期待されることもあるが、実際には表面的な知識しかなく、考える力に欠けている。
本来の自分の無能さを隠すために、学歴という鎧を纏い続けているだけだ。
その鎧も永遠のものではなく、刻一刻と劣化し続ける。

「生活のため」という言い訳の裏で、私は自分の可能性を押し殺しているのかもしれない。
やりたいことが明確にあるのに、それを実現するための時間とエネルギーが、日常の雑事に消費されてしまう。
結果として、仕事に充てる時間が自分を縛り付け、成長する機会を奪っているように感じる。

ただ生きるために働く日々が、自分の内側を空っぽにしていく。
本当は、もっと有意義に時間を使いたいのに、現実はそれを許さない。
心の奥では焦燥感と無力感が渦巻き、このままでは取り残されてしまうのではないかと恐れる。

自分の可能性を試すことも、夢を追いかけることも、すべては遠い未来の話のように思えてくる。
やりたいことを叶えるための時間を見つけることができるのか、それともこのまま過ぎ去っていくのか。
頭の良さがあればもう行動できているのだろう。

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