身の程を認められない馬鹿

とある偉大な先生の本に「身の程を知れ」と書いてあった。
何年か前に「身の丈発言」で炎上した公人もいた。

私はこの考え方を肯定的に捉えている。
身の程を弁え、自分の限界を知り、できることをこなす。
これこそ人生を楽にするコツなのだ。

しかし、私は自分の「身の程」を未だに認められずにいる。
もっとできるはずだ、できなければならないという考えに固く縛られている。

自分の中で、理想の自分を作り上げてしまった。
しかし、実際の自分とは乖離があることに気づき始めている。

自分の能力の限界を素直に認めることができたら、どれだけ楽になれるだろう。
それができたなら、無駄な期待を抱かず、分不相応な努力をせず、ただできることだけを積み重ねて生きていける。

本当はもっと上に行けるのではないか、もっと賢く、もっと優秀に、もっと速く、もっと深く考えられるのではないか。
「身の程を知れ」という言葉を自分に向けて発することは、「お前には無理だ」と突きつけることと同じだ。
それを受け入れるのが怖い。

なぜこんなにも「できない自分」を認めることが難しいのか。
それは、私が「できる人間」になりたいからだ。
「できない」自分のままでは、社会に適応できないと信じているからだ。

しかし、その「できる人間にならなければならない」という思いこそが、私を苦しめている。
自分の身の程を認められない馬鹿が、身の丈に合わない理想にしがみついている。

馬鹿だと自称しているはずなのに、「できる人間」でありたいと思う己はやはり馬鹿だ。

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