能ない馬鹿は爪を隠せない

「能ある鷹は爪を隠す」という言葉がある。
しかし、私にはまるで関係ない話だ。
そもそも能なんてないし、隠す爪も元々持っていない。

それでもなぜか何かを見せようとして空回りする。
結果、ただの滑稽な馬鹿が目立つだけだ。

小学生や中学生の頃、記憶だけは得意だった。
神経衰弱では家族に勝ち続け、終いには妹から対戦を拒否された。
百人一首大会では上位に食い込み、とある検定試験では同期より上の級に合格した。
テスト勉強もひたすら問題集を丸暗記して高得点を取るというやり方で、トップクラスの成績を維持していた。

しかし、高校に進学するとその方法に翳りが見え始めた。
先生たちも「覚えるだけではダメ。考えることが大事」と言う。
それでも変わらず、いくつかの解法パターンや公式を暗記することで乗り切り、
たまに一桁の順位を取れるくらいの順位についていた。

完全に詰んだのは大学進学後だった。
旧帝大と聞けば世間的には優秀だと思われるかもしれないが、残念なことに私は無能だった。
同期たちは成績を伸ばすためにしっかりと自分で勉強を進めていたが、
私には考える力が圧倒的に不足していた。
中学や高校とは違い、問題集があるわけでもなく、覚えるべきものといえば過去問だけ。
しかし、解法が解説されている過去問は少ない。
正しい解法を導くために必要な思考力がない自分にとってはなす術がなかった。
解法を覚える作戦を駆使しようにもその解き方が分からなければ行使できない。
覚えようにも覚えるネタがない。
友人と一緒に勉強しようにも、そのような関係の友人もいない。
おかげで成績は下位だった。
考える力も発信する力もなく、記憶することすら諦め、自己嫌悪だけが積もっていった。

大学院に進んでも状況は変わらなかった。
知っていることだけを見せつけることで必死に自分を守ろうとする一方、知らないことに向き合う勇気もない。
自分で実験内容を考えることができず、指導教員に言われたことをこなすだけだった。
言われたことの良しあしも判断できず、教員の思いつきに振り回されながらただ指示通りに徹夜で実験を繰り返す。
ごり押しで研究を進めても得られるのは達成感ではなく自己嫌悪だけ。

何も太刀打ちできない。

そんな自分に嫌気がさしていった。

社会に出ると、周囲の期待を裏切るのが怖くて何もできなくなった。
高学歴のおかげで採用されたと言って良いだろうに、残念ながら私には能がない。
能がないのに能があるように扱われることが苦しい。
資格取得やキャリアアップを期待され、優秀な管理職になることを求められる。
しかし私は頭が悪いし、そもそも仕事内容に興味すらない。
それでも周囲の期待に応えようとして必死になるが、結局空回りしているだけだということに気づく。
この構図は学生時代と何も変わっていない。

「能ある鷹は爪を隠す」なんてどこ吹く風。
私は「能ない馬鹿は爪を隠せない」という言葉がぴったりだ。
隠す爪もないのに見せようと悪あがきして、残るのは滑稽な自分。
それなら最初から何も見せない方が楽だと思うようになった。

もうこんな自分嫌だ。
自分という概念をリセットしたい。
こんな自分をどう受け入れたら良いのだろうか。

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