嘘も方便とはよく言うが、私は嘘が大の苦手だ。
賢く嘘をつくには、状況の曖昧さを作り出し、他人の目を欺く技術が必要だ。
しかし、私はただ素直で正直な言葉しか紡げない。
やりたいからではなく、他に選択肢がないからだ。
嘘を重ねられる人は、きっと頭の回転が速いのだろう。
会話の中で、どのように嘘をつけば矛盾を生まずに済むのか、どう言葉を濁せば違和感を抱かれないのか、そういった計算ができる。
しかし、どうしても私にはその手法が使えない。
気の利いた言葉を並べることも、適当に場を濁すこともできず、結果として自分の無能さが丸見えになる。
そのことが、その場がますます自分を取り巻く世界とは隔絶されているように感じさせる。
「正直者が馬鹿を見る」とはまさにこのことだ。
嘘をついてうまく立ち回っている人たちに比べ、真実を無邪気に話してしまう私は、相手を傷つけたり、無駄に揉め事を引き起こしたりしがちだ。
そして、後悔することになる。
つい口に出してしまう言葉に、自分の患かさを認識する。
こうして、嘘をつくべきか否かの選択肢を前にして、私はいつも悩む。
うまく嘘をつければ、自分を守ることができるはずだ。
「正直者が馬鹿を見る」という、この世界の冷徹さを痛いほど実感しながらも、やはり自分には自分に都合の良い嘘を自然に紡ぐ能力が欠けている。
それが正直者としての宿命だ。