結婚式に招かれるたびに、気が重くなる。
おめでたい席であることは理解しているし、新郎新婦を祝福する気持ちもある。
だが、どうしても結婚式の空気に馴染めない。
結婚式は情報量が多すぎる。
新郎新婦の親族、職場の同僚、学生時代の友人。
知っている人もいれば、初対面の人もいる。
異なる世界の人々が一堂に会し、それぞれの関係性が入り乱れる。
披露宴の余興やムービー、スピーチが流れる中、私は人間関係の渦に巻き込まれる。
「あの子は今こういう仕事をしているのか」
「あの人はもう子供がいるんだな」
次々と飛び込んでくる情報を処理しきれず、頭が追いつかない。
そして、自分の現在と友人たちの現在を比較してしまう。
「私はこの場にふさわしいのか」
「みんなは人生を前に進めているのに、私はどうなんだ」
その場では何とか取り繕う。
愛想笑いをし、適当に話を合わせる。
しかし、帰宅すると頭の中が膨れ上がる。
結婚式で得た情報が、まるで嵐のように押し寄せる。
「あの人は昇進したのか」
「この子は結婚して新居を構えたんだ」
頭の中で誰かと誰かの情報が勝手に結びつき、比較が止まらない。
私は賢くない。
目の前に入ってくる情報を取捨選択する能力がなく、すべてを抱え込んでしまう。
そして、考えすぎてキャパオーバーになる。
そもそも、結婚式という場は心も体も疲弊する。
きちんとした服を整え、祝儀を準備し、慣れない場所へ向かう。
慣れない食事を食べ、スピーチや余興にリアクションを求められ、長時間その場に身を置く。
それだけでも十分に負担なのに、そこへ膨大な情報が押し寄せる。
結婚式のたびに思う。
「私はなぜ、こんなにも処理能力が低いのか」
みんなは自然に笑い、拍手し、涙し、感動を共有している。
だが、私だけが情報の洪水に飲み込まれ、動けなくなる。
結婚式は「みんなで楽しむ」ことが前提のイベントだ。
だが、私は情報量の多さに圧倒され、何をどう楽しめばいいのかわからなくなる。
もちろん、友人たちの幸せは喜ばしい
だが、それと「結婚式の空気に馴染めるか」は別問題だ。
祝う気持ちはある。
だが、それ以上に情報過多に耐えられない。
これからも結婚式には招待されるだろう。
そしてその度、溢れかえった考え事を処理しきれず、頭を抱えて寝付けなくなるのだろう。